『狭間にて』あとがき

2024/05/02

――彼は、私に優しすぎる。  彼女は胸の内で呟いた。  彼が私のために用意してくれる空間は、ひどく居心地が好いに決まってる。そんな場所で彼が傍にいてくれるとなれば最後、間違いなく私は離れられない。だから二度目が無いよう断った。だから抜け道を残してしまった。  ……もしも、私の最期の時。彼が私を、あの約束を、もし、……いや、やめよう。彼をあの約束で縛ったのは私だ。その不履行をちらとでも考えるなんて、馬鹿げた不誠実な真似をすべきじゃない。 『私が死ぬとき、最後に触れるのはあなたがいい』  あの願いは本物だった。  この生の終わりにこの胸を貫くのは、彼の鋼であってほしい。そう心からこいねがった。  願ってしまった。諾と言わせて縛ってしまった。そんなものはあれ一つきりで十分だ。  だって、私は繋ぎなのだ。次代へ、未来へ、彼ら刀剣を守り伝えるための、ただ一時いっときの中継ぎに過ぎない。  だから、彼の優しさに甘えて、縋って、他の何物からも目を背けて、なんて、そんなことをしてはいけない。人間ひとより永い彼の未来に、いつまでも居座り続けるなんて、そんなことを、望んではいけない。  こんな私のことなんて、私が死んだらすっかり忘れてくれて構わないのだ。忘れてくれなければ困るのだ。だから彼の優しさに溺れてはいけない。  そのことを、きちんと、覚えておかねば。  あまりにも彼を、愛しているから。 ──────────────────── あとがきまでご覧いただきありがとうございます。 上記の文は、あまりにも蛇足な気がしたものの、ボツにする踏ん切りもつかずに持ってきたものです。 あの審神者が口にはしないまでもかなり本気で思い続けていることなので。 文章を書くのが久しぶりすぎてちっとも綺麗に整わなかったので、いずれ手直ししてきちんと作品の中に配置したいものです。 この作品の初出はpixiv、2023年5月初頭でした。 4月の末にひどく暑くて、「冬は過ぎてしまった…春もすぐに去ってしまう…夏……暑い……やだ……」と冬を惜しんで書いたものだったはずです。 pixivには今も、2ページの部分、神隠し未遂翌朝の場面は載せていません。 早い段階で書いてはいたのですが、蛇足な気がしたんだったか、タイミングを逃したんだったか、今まで日の目を浴びずにいました。 自サイト万歳。これで載せることができました。 それは良いのですが、加筆修正をしていたら冒頭の蛇足部分が増えました。なぜ。 私の作品で審神者さんが再三言っている「あの約束」というのは、 過去作長編『あなたと私の「愛」について』(pixivに飛びます。別窓)の終盤に出てくるものです。 「私が死ぬとき」というあまりにも重い願い/約束/誓いなのでずっと設定を引っ張っています。 『終生の守り刀』という彼女の山姥切国広の呼称(大変気に入っています)もここから生まれました。 あとはこれも蛇足ですが……、今作中、 「兄弟のやらかしで禁則事項が増えるのはこれで二つ目だっけ?」 「一つ目というのも、実は山姥切の過保護が勢い余ってできたものだ。」 という内容が出てきます。 これについては未出です。作品にしてない。 ただ今後も作品にならなそうな気がするので経緯を置いておこうと思います。 元凶は鶴丸国永さん。 この本丸の彼は一般的な(?)鶴丸国永像に比べれば大人しく、日々の営みや自然の移ろいの中に小さな驚きを見出していく、言うなれば歌人タイプです。 そんな彼も最初は彼らしく典型的な驚きを試してみたくてうずうずしていたのです。顕現当初は。 ある日のことでした。といっても彼が顕現してからそう経たない日のことです。 本丸内をぶらぶら歩いていると、前方に小柄な女人の後ろ姿を発見。彼の新しい主殿です。 これは良い。挨拶代わりにとびきりの驚きを贈ろうじゃないか、と彼は閃きました。 抜き足、差し足、忍び足……、わっ! 悲鳴が上がりました。驚きに彼女の肩が跳ねるのが見えました。がくんと膝から力が抜けたらしいのも見えました。 いやぁ良い反応です。鶴丸国永は満足しました。 しゃがみ込んでしまった審神者に手を貸そうと思いましたが、おや、どうやら震えているようです。そんなに驚いてくれたのか、少々罪悪感も芽生えますがいやぁこれは驚かしがいがあ―― 次の瞬間、鶴丸国永は背中から強い衝撃を受けていました。 状況を理解するより早く、視界に赤が舞います。 遅れて認識したのは、全身を打った痛みと、衝撃でままならなくなった呼吸、肩の激痛と、そこに深深と刺さる刀でした。 「鶴丸国永、主に何をしている」 この本丸で一番の古株だというその男のここまで低い声を聞いたのは、鶴丸国永の現在までの記憶でも他に一、二度数えられようかという程度でした。 平安生まれの彼からすれば赤子も同然の若い刀ではありましたが、さすがにこの時ばかりは彼も震え上がったものです。 顕現して間もない練度の差も歴然の仲間であろうと、主を守るためとあらばここまで遠慮容赦無く手を下せるのが、この本丸の山姥切国広という刀でした。 かくして、この本丸には『私闘・抜刀厳禁』の禁則事項が生まれたのでした。 というのが、とある本丸の鶴丸国永の一番の笑い話なのです。