降 り来 る金色
「お客さま、広場のイチョウはご覧になりました?」
「え?」
定例の用事で時の政府に出向いた帰りのこと。喫茶店での休憩を終えて会計を済ませる審神者に、店員が水を向けたのだった。
目を瞬かせた審神者を見て、彼女はあらあらと顔を輝かせた。
「まだご覧になってない?
うちの店を出たすぐの路地を入るとね、裏手が少し開けているんですよ。私たちは広場って呼んでますけどね。そこに大きなイチョウの木があるんです。今ちょうど見頃ですからね。お時間あったらきっとご覧になるといいですよ。
はい、こちらお控えね」
「あら、そうなんですか? 良いこと聞きました、ありがとうございます」
「いいえ。ありがとうございました」
「ごちそうさまでした」
審神者はにこりと笑って店員に礼を伝えると、くるりと振り返った。
後ろに控えていた近侍に目を合わせ、こてりと首を傾げる。頷きが返ってきたのを見て、その表情がぱっと華やいだ。
* * *
「わぁ……、なるほどこれは見事ね……」
「……すごいな」
教わった通りに路地を入り、少し進んで。目の前に広がった光景に一人と一振りは感嘆の声を上げた。
小さな空き地、広場と呼んでも差し支えない程度に整えられた、けれど何もないその場所に、銀杏の大木が堂々と枝を伸ばしていた。葉はすっかり黄色に染まっており、時折風に吹かれてはらはらと舞い落ちてきてさえいた。数日もすれば隙間が目立ち始めてしまうのだろう。確かに今が見頃であった。
しばし圧倒されたように銀杏の木を見上げていた審神者だったが、やにわにスッと鞄に手を入れるやタブレットを取り出して目の前に掲げた。
「これならカメラ持ってきたかった……」
「それがあるだろう」
「そうだけどそうじゃなくて談話室に置いてるやつ……。ちゃんとしたカメラで撮りたかった……」
嘆きながらもカメラを起動し設定をいじり、サッとしゃがみ込んで審神者はパシャパシャと写真を撮り始めた。高さがあるので仰角で撮ることにしたらしい。
途端に夢中になった審神者を、近侍である山姥切国広はやや呆れた顔で眺めていた。無防備な彼の主を警護するため、周囲へ注意を払って待つ。
「ね、国広、ちょっとそこ立って。お願い少しでいいから」
しばらくカシャカシャやっていた審神者が、これまた急にぱっと立ち上がって振り返り、山姥切を呼んだ。それまで審神者がいた所と銀杏との中間辺りに山姥切を立たせ、自身はまた少し下がってタブレットを覗き込む。歓声が上がった。
「綺麗最高さすがですバッチリ」
「どうしろと言うんだ……」
山姥切は嘆息した。彼の主はよくわからない生き物だった。
日頃大人しやかなようでいて、興味を引くもの好きなものを前にすると、急に幼子のようにはしゃぎ出す。
しかもその『好きなもの』が、往々にして刀であったり、山姥切自身であったりするものだから、彼としてはどうにもむず痒くてならなかった。
「黄色、金色。国広の髪と一緒ね。綺麗」
「またか」
そしてその無邪気な彼女は、近しい刀、殊 に山姥切のことを何かにつけて自然の風物になぞらえ褒め称えるのを大層好んでいるのだった。
声はせせらぎ、髪は月光。他には何があったか。今そこに銀杏の黄葉が加えられたらしい。山姥切は再び溜め息をついた。
「たのしい……」
「良かったな」
思わず零れたというような呟きにおざなりに返事をしてやりながら、山姥切はもう一度銀杏の大木を仰ぎ見た。大太刀や槍の連中よりもずっとずっと背が高く幹の太い木だ。どれほどの歳月を重ねてきたのだろうか。三日月宗近や大包平たちには遠く及ばないのだろうが、幕末刀たちとはどちらが年嵩だろうか。
「国広……」
つらつらと考えていた山姥切を、審神者が呼んだ。
忙しい奴だな、こいつは。山姥切は思った。賢明にも口にはしなかった。
つい先程までの熱はどこへやら、心細げな声だった。何があったかと審神者に目を向ければ、彼女は数拍じっと山姥切を見つめ、首を振って笑った。
「……綺麗だね」
「綺麗とか言うな。……どうした」
山姥切が歩み寄ると、審神者は指先で山姥切の袖口に触れて、何かためらうように目を伏せ、また山姥切を見上げた。
「……あの、ごめん。笑ってくれて、いいんだけど」
恥じ入るように前置きし、瞳を泳がせながら、彼女は口を開いた。
「あの、ね。銀杏が綺麗、で。国広の色だなって思って立ってもらったんだけど……、想像した以上に、綺麗で、神秘的に見えて、ね、一瞬、一瞬だけね、触れてはいけないものなんじゃないかと思ってしまったの。目を離したら、瞬きの間に国広が消えちゃってたりしないかなって……。
ごめんね、そんなことあるはずないってわかってるのよ?」
自嘲の色を浮かべて笑う審神者を前に、山姥切は溜め息をついた。びくりと審神者の瞳が不安げに揺れる。
「あんたはまだ要らん遠慮をするな」
袖口を掴むことさえしない遠慮がちな手を捕らえ、手のひらを合わせて指と指とを絡める。強張る指先を無視して山姥切は彼の主の瞳を覗き込んだ。
「あんたのための俺だ。離したくないと言うのなら、しっかり捕まえておいてくれ」
「ぇ、あ」
「いいな?」
「ぅ……、……はい」
真正面から迫られてたじろいだ審神者は、山姥切に念を押され、気圧されながらも頷いた。よし、とでも言うように山姥切が頷く。
そのまま山姥切は、向かい合わせに繋いだ手を見て少し考え込み、一度指を解いて腕を下ろすと、改めて指を絡め直した。いわゆる『恋人繋ぎ』の正しい形が整い、彼は満足そうに頷いた。あわあわと口が半開きになったままの審神者のことなど気にも留めていない。
「画面見せてくれ」
「え、あ、タブレット? 使う?」
空いた片手で審神者がタブレットを持ち上げる。山姥切は微かに眉を寄せた。審神者の細い腕では、薄い板一枚を持ち上げるだけでも僅かにぶれるのだ。
そのことに気付きながらも手を解く気のない山姥切は、差し出されたタブレットの画面をとんとんと操作していく。
「……え、国広?」
操作を見ていた審神者が困惑の声を上げる。山姥切はぽんと最後の操作を終えた。
「そら、寄越せ」
審神者の手からタブレットを取り上げる。画面を傾け、山姥切はぴたりと手を止めた。
タブレットには、困惑する審神者と、真顔で彼女の頭に頬を寄せて画面を覗く山姥切が映っている。フロントカメラが作動していた。画面の端でカウントダウンタイマーが着実に数を減らしている。
「そら、撮るぞ」
「えぇ……」
——3,2,1
カシャ。シャッター音が鳴る。
一瞬浮かぶ確認画面には、困ったようにはにかむ審神者と、普段通りに表情の薄い山姥切が、金色の銀杏を背景にしてきちんと映っているのが見えた。
「……手慣れてるね」
「兄弟が撮るの上手いからな」
「どっち……堀川?」
「あぁ」
「そう……」
びっくりした、と溜め息をつく審神者を見下ろして、山姥切は口を開いた。
「俺はここに、あんたの傍にいるし、あんたとの物語 が欲しいから写真も撮る。心を物に残したいという人間 の気持ちが、今は少しわかる」
「国広……」
驚いたように彼を振り仰ぐ審神者の目を、山姥切は真っ直ぐに見返した。碧い瞳が緩んで弧を描く。
「俺はあんたのための刀だ。そうだろ?」
「……、うん。あなたは私の至上の刀」
「手放さないでくれ」
「うん。弱気になってごめんね、ありがとう。ちゃんと握ってるからね」
きゅ、と審神者が繋いだ指に力を込める。声と瞳に、凛とした強さが戻っていた。
山姥切が頷き、微笑む。
「そろそろ帰ろう」
「うん、帰ろ。私たちの本丸に」
繋いだ手をそのままに、一人と一振りは歩き出す。綺麗だったね、そうだな、と和やかな会話を交わしながら。
ひらり、ひらりと、黄色い木の葉が舞い落ちている。
初出:2022年12月4日 pixiv
加筆:2025年2月22日