人の心のほかのものかは

「データはこの後まとめてお送りします」 「はい、ありがとうございます」 「ではまた来月。そちらにお伺いする月となりますのでご承知おきください」 「はい、よろしくお願いします」 「それではこれにて失礼致します。お二人ともお時間をいただきありがとうございました、お疲れ様でした」 「こちらこそありがとうございました。お疲れ様でした。失礼致します」  画面越しにお辞儀を三秒。接続を切って画面を払うと、審神者はふっと息を吐いた。くるりと振り返り、側に控える近侍と目を合わせる。 「山姥切もお疲れ様。私はもう少し作業するけど、先に休憩していいよ」 「いや、……いや、手伝うこともそう無いか。あんたも早めに休むようにな」 「極力気を付けます」  山姥切国広が僅かに眉を寄せて口を開く。しかし結局彼はため息一つばかりを残して口を閉じた。お疲れ様、と審神者に告げて執務室を一振りひとり出ていく。時刻はもうじき昼時というところである。  審神者は諦めてお小言を呑み込んでくれた近侍に苦笑を返して机に向き直った。業務端末には早速メッセージ受信の通知が入っていた。  いつもの、月初めの定期面談だった。時の政府の本丸付きの職員と、審神者と、初期刀もしくは近侍を揃えた三者での面談。前月の戦績確認に、新規の刀剣男士の受入れ有無、その練度向上の程度確認、また当月の特別任務の通知、本丸運営方針、等々。  ともすれば閉鎖的になりがちな本丸運営への、時の政府の配慮であり監視である。  審神者は送られてきたデータにざっと目を通した。ファイルの一つを開き、とんとんと操作する。机の脇の印刷機が待機モードから立ち上がる音がした。    * * * 「……何をしている?」  山姥切国広は言うはずだった言葉を忘れて思わず呟いた。  昼食を終えた彼が、それでも現れない審神者の様子を見に執務室へ向かってみれば、そこはもぬけの殻だった。机上のメモには『資料室にいます』の字。呑み込んだ小言を言うべきだったか、そもそも先に休憩を取らずに居座るなり引っ張っていくなりすれば良かったか、と世話焼きな近侍が資料室まで来てみれば、彼の主は資料をあれこれ広げて床に座り込んでいた。 「……わあこんな時間か」  驚いたように山姥切を振り返った審神者は、自らの手首に目を落とし、腕時計の盤面を見て不自然に単調な声を上げた。その顔が引きつっている。自分の周りに広がる紙を見て、それから山姥切を振り仰いだ。 「えっと、つい、ね」 「……わかった。別に怒ってない。というかあんた腹減らないのか?」 「なんでだろね」 「知らん。で今回は何だ?」  言いつつ山姥切はしゃがみ込んで手近な紙を手に取った。つらつらと並ぶ文字。年表。それは来歴だった。 「担当さんが京極正宗の資料を送ってくれたから、印刷してこっちに持ってきたの。で、ついでにと思って日向のを見返して、で、つい、見たくなってですね?」 「山鳥毛のを?」  山姥切は資料をまとめながら尋ねた。彼が手に取ったのは、『山鳥毛』と号された刀の来歴だった。わかる限り古い年代から、この二十三世紀に至るまでの。 「あ、それは参考。山姥切のをね。それであなたの……、勧進とでも言ったらいい? 山姥切の所有を自治体に移すための募金の話があったんだっていうのを思い出して」 「あぁ……」 「開始日が九月一日いっぴになってる。この時期だったのね」 「ん……」  山姥切は反応に困って曖昧な相槌を打った。物だった頃のことを刀剣男士が語ることはあまり無い。審神者に与えられるのは紙上の歴史記述が主だ。 「ふふ、いいよ、聞きたいわけじゃなくて」  困り顔の初期刀に、審神者は首を振って見せた。  号『山姥切国広』、刀銘『九州日向住國廣作/天正十八年庚刁貮月吉日平顕長』。  その来歴が記された資料を丁寧な手付きで束ねながら、審神者は瞳を和ませた。 「二百年近く経つのか……。当時の価格が今とどれだけ違うのかわからないけど……、これきっとすごい額よね。大変だっただろうなって……。愛されていたのね、山姥切国広」 「う、……」  視線をうろつかせる山姥切に、審神者はくすくすと笑う。まとめた資料へ名残惜しげに目を落としながら、彼女はそれらが元々綴じられていたファイルを引き寄せた。微笑む口許が開き、歌うように言葉がこぼれる。 「この刀が縷縷るるとして受け継がれていきますように。いつまでも損なわれずにありますように。どうか美しいままでありますように。永遠とわにその価値が認められますように。願わくは、いつか一目見るときまでの、生きるよすがであってくれますように……」  審神者の唇から紡がれていくそれらの言葉は、彼女が見ていた資料に載っていた、そしてそこから彼女が透かし見た、人々の想いだった。  ファイルに資料を綴じ直し、審神者は隣で居た堪れなさそうに口をへの字に曲げている山姥切へと顔を向け、その表情に少し笑った。見慣れた、けれどいつ見ても美しいと思うあおい瞳を覗き込んで、彼女は続ける。 「愛されていたのね、本当に。そういう、人々の願いが……、祈りが、きっとあなたを神たらしめたのね」 「っ、……」  その柔らかいまどかな感嘆の声に、否定も肯定も、知らぬ存ぜぬと突っ返すこともできずに、山姥切はただいたずらにあぐあぐと口を開け閉めした。右手が泳いで前髪に触れる。もうとっくにそこに布は無いのに。 「感謝しなくちゃ……。この人たちが山姥切国広という刀を大切に思ってくれたから、この人たちだけでなくて、たくさんの人たちが、手から手へ、過去から未来へ、山姥切を伝え守っていってくれたから、私は今のあなたに会えているんだもの」  胸に手を当てて、審神者はゆっくりと目を閉じた。  悠久の星霜を思う。そこに降り積もった人々の想いを、その果てに生まれた分厚い地層、彼女がいま踏み締めて立つ歴史を、思った。  彼女が守るべきものだった。  目を開く。彼女は立ち上がってファイルを棚に戻した。山姥切からもファイルを受け取ろうと振り返った審神者は、真っ直ぐにぶつけられる強い視線に目を瞬かせた。 「俺は、あんたのための俺は、あんたがんでくれたからここに居る。あんたの心が俺を今の俺にした。あんたも、あんたが言う、俺を守ってきてくれたたくさんの人のうちの、一人なんだ」  山姥切国広は、そう訴えると、気恥ずかしげに眉を下げて目を逸らした。 「……そうだろ?」 「そっか。そうだね。そうだと嬉しい」  審神者がはっきり頷くのを見て、山姥切もふっと目許を緩ませると、手にしていたファイルを棚に戻した。 「そら、いい加減飯を食ってきたらどうだ?」 「そうする、さすがにちょっとお腹空いてきた」 「たんと食ってこい」 「そんなに食べられないかなぁ」  資料室を出る。まだ暑さの残る九月の青天白日に、審神者はそっと目を細めた。

神といひ仏といふも 世の中の人の心のほかのものかは   詠人 源実朝

初出:2023年9月5日 pixiv
 栃木県足利市の山姥切国広購入クラウドファンディングによせて
加筆:2025年2月23日

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