催花雨

 時は春。彼岸も過ぎて寒さは日ごと鳴りを潜め、陽射しものどかな弥生の末。……というのも数日前までの話。このところはぐずついた天気が続いている。それでも春らしい、ぬるく湿った草と土の匂いがする、と口にしていた、その主が見当たらない。さてどこをほっつき歩いているのか、と山姥切国広は本丸内を歩いていた。  この本丸の初期刀であり、主から重用されることもあって自然『総隊長』と皆から認識されている彼は、時折仲間たちから手合わせの申し出を受ける。近頃は修行に出て帰還した者も増えてきたから、極めた己の力を試したいとその申し出は増加傾向にある。  今日もその手合わせに付き合ってことごとく勝ってきた彼は、審神者の機嫌伺い、もとい仕事の進捗確認のため執務室に向かい、そこで置き手紙を見つけることになるのだった。 ――仕事が一段落ついたから散歩してきます。  蒼黒ブルーブラックのインクの濃淡、見慣れた筆跡。その紙片を懐にしまいながら、彼は外を見やってため息をついた。 「この雨の中をか」  空は灰色、しとしとと雨が降っている。     * * * 「主」  彩度を落とした黄色い海の中、赤い傘を差す背中を見つけて、山姥切国広は声をかけた。  審神者は振り返って近侍の姿を認めると、ふわりと顔をほころばせた。 「ここにいたのか」 「ごめんね、探させた?」 「少し、な。今剣が上から見ていたらしい」 「上? ああ、天守か。あそこ好きだものね」  執務室の前栽にも、審神者の居室である離れの庭にも姿が見えず、しばらく本丸内を尋ね歩いていたのだ。  『あるじさまなら、なのはなばたけにいくのをみましたよ!』と今剣がにっこり笑って言うのを聞いて、本丸裏に設けられたこの菜の花畑まで追ってきたのだ。 「目の届かない所に行くなら伴を付けてくれと言っていたはずだが」 「あ……、ごめんなさい。忘れていたわけでは、ないんだけど……。ううん、ごめん、迂闊でした」 「いや、すまん、説教をする気はない。万一のことがあったときに、あんたをきちんと守れるようにしたいだけだ」 「うん」  投げかけられた声色の、眼差しのやわらかさに、審神者は視線を菜の花の海に逃して、そっと息を吐いた。要らぬ心配を掛けてしまった。一人で考え事がしたかった、とも、気の向くままに歩いていたらこちら側裏手に出ていた、とも、言葉にするのは容易いが、どれも言い訳にしかならない。  しとしと、ぱらぱら、と、しばし雨音だけが二人の耳に届いていた。風もない、穏やかな春雨。  ふ、とため息のような吐息が不意に聞こえて、審神者は隣に立つ近侍の横顔を見た。 「どうせなら、晴れの日に見に来ればいいものを」  あおの瞳が見つめる先を辿って、彼女はもう一度菜の花畑を目に映した。  彼の言う通り、青空の下の菜の花畑は、眩しいほどに鮮やかで美しい。  また古の俳人が『菜の花や月は東に日は西に』と詠んだように、琥珀色の夕陽に照らされたならば、その景色はいっそう華やかに映るだろう。  けれど、いま目の前に広がる黄色い海は、灰色の空の下、雨にくすんで精彩を欠く。それはまるで―― 「修行に行く前の国広みたいだなって思って」 「は? ……いや待て、いい、言うな。あんたの言いたいことはおそらくわかった」 「せっかく綺麗なのにと思って」 「言うなと言っただろうが」  苦み走った声に、審神者はくすくすと笑った。修行を終えてそれなりに経つというのに、未だこのかたなは『綺麗だ』という賛辞を素直に受け取ってはくれない。修行前のことを話題に出されるのは殊更嫌がる。  それがわかっていても、審神者はつい、彼を前にすると、以前の彼を思い起こしてしまう。襤褸ぼろを纏っていた頃の山姥切国広を。 「国広、私の話を聞くときは真っ直ぐ目を見てくれてるのがわかるのに、私の方からはそれが布で見えないのが、ずっともどかしかった」  灰色に陰った黄色い景色を目に映したまま、彼女は口を開いた。今となっては懐かしい、あの頃の彼。 「きっと内側でいろいろ考えているんだろうな、っていうのはなんとなくわかってたけど、言葉にするのは得意じゃないみたいだったから」  思い出す。はく、と音もなく開いては閉じられるだけの口許、行き場を失ったように握り締められた手。審神者が気づいたそれらの仕草、見落としてしまったものも、きっと数え切れないほどあった。 「どうしたらいいんだろう、ってずっと思ってた。自信を持って、と、人に言われて持てるなら苦労しない。わかってるから、言えなかった」  隣に立つかたなの視線が自分に向けられているのを、彼女はなんとはなしに感じていた。いつだってそうだ。このかたなは、少し……いやかなり、不器用ではあるけれど、真面目で忠に篤く、主である審神者に向ける眼差しは、真っ直ぐと強い。今、その眼差しに審神者が視線を返すことはできなかった。 「私が選んで、私が心を与えた。苦しませただけなんじゃないかって、ずっと申し訳なくて、怖かった。……選ばれたあなたに拒否権は無いのだと思っていたから」 「主」  咎める、というには少しく弱い響きだった。審神者が口にしているものが、過去の話だからだ。この審神者が主であったがゆえに己は修行に出たのだと、山姥切国広は既に幾度か伝えている。繰り返さずとも承知しているはずなのだ、この審神者は。そのはずなのだが。 「人の言葉は、本人が期待するほど相手の心には届かない。私はそれを知ってる。……知ってた。  でも、国広にはいつだって支えてもらってるのに、私からは何もできなくて。もどかしくて、不甲斐なくて、情けなかった。私が、この本丸の主なのに」  いつの間にか、俯いていた。雨に濡れる花が重みでこうべを下げるように、審神者は己の足下を、過ぎ去った日々を見ていた。 「だけど」  顔を上げる。振り仰いだ先にある碧。金、橙。冬の夜明けのように、清冽で透明な、彼女の光。 「国広は、自分で強くなったから」  眩しくて、審神者は目を細めた。 「私が心配することなんかなかった」  こんなにも、強くなった。元より誇りある刀だった。新刀の祖たる堀川國廣の傑作とも称される、その矜持が山姥切国広という刀剣男士の芯には常にあった。『俺は、俺だ』。修行に出る前から、彼の答えは彼自身のうちにあった。その矜持を、芯を、答えを、確かなものに成し得たのは、ただひとえに、彼のひたむきな努力があればこそだ。 「どの本丸でも、それぞれがそれぞれに修行に出て、強くなって帰ってくる」  演練に出れば他の本丸の様子も伺える。いずれも極めた者たちは、良い顔をしている事が多い。主に対する信頼、己の強さに対する自負と、まだまだだという向上心。それを、見ていると。 「私じゃ、……」  はっとして審神者は口を閉じた。隣に立つ近侍の眼差しがわずかに硬さを帯びる。自分は今、どんな顔で、何を口にしようとした?  彼女は慌てて首を振り、笑顔を作った。 「私の国広も、無事に帰ってきて、今ここにいてくれてる。こんなに頼もしくなって、最近は私の方が足を引っ張っちゃってるんじゃないかって思うくらい。嬉しいけどね!」 「待て、今あんた何を言いかけた」 「っ、なんのこと?」  互いの傘がぶつかり、ぱらぱらと大粒のしずくが滴り落ちた。近侍の彼が踏み出した一歩分、審神者は足を退いた。傾けた傘、審神者が表情さえも隠そうとしていることを悟って、山姥切国広は傘の下を覗き込んだ。 「ごまかさないで言ってくれ。あんた今何を飲み込んだ。どうしてあんたは自分ばかり抑え込む。俺には、俺たちにはそれをさせないくせに」 「……言わないよ。ちょっと馬鹿なこと考えただけ」  また一歩、審神者が足を退く。その表情は笑みを象っているはずなのに、瞳は暗く陰っていた。歪なそれを、山姥切国広は知っていた。何かを嘲り貶めるときの笑い方だ。 「主!」  そんな風に似合わない表情かおをするのはやめてくれ。彼の伸ばした右手が、しかし審神者に触れることはなかった。傘の分だけ、距離が遠い。 「頼むから、俺にまで隠してくれるな」  左手の傘を横に下ろして、山姥切国広はもう一度審神者の顔を覗き込んだ。ほんの四寸程度の背丈の差だ。屈まずとも十分に事は足りる。 「国広、濡れちゃう」 「あんたが隠そうとするからだろう」  慌てて審神者は傘を差し出す。開いた距離を元に戻して。  彼はそれを認めるや、手早く下ろした傘を畳んで差し出されたそれを掬い取った。一つ傘の下、先ほどは届かなかった距離が今は一歩分も無い。それでも両手は塞がっている。今ならば、審神者はこの近侍から逃げようと思えばできただろう。  しとしと、ぱらぱら。雨音だけが聞こえている。  山姥切国広はしばらくの間、所在無げに目を泳がせる審神者の姿を見ていたが、これは無理か、と内心で一つ息を吐いた。無理強いしたとて、彼女の心をこじ開けて中までとっくり見られるわけでもない。  帰るか、と彼が口にしかけたときだった。 「……私じゃ、なくても」  らしくない、と近侍の彼が思うほどに、か細い声だった。それを恥じたのか、審神者は一度息を吸って、吐いて、顔を上げた。泣いているのかとも思ったが、彼女の瞳に涙は無かった。 「私じゃなくても、きっとあなたは強くなれた。だって、あなたははじめから刀としての自分に、ちゃんと自信を持っていたから」 「そんなこと」 「ね、つまらないことでしょう。これはあくまで私の失言。ほら、帰ろう?」  審神者はからりと笑って、近侍に持たせたままの傘に手を伸ばそうとした。 「あんた、いつになったら俺の言葉を信じてくれるんだ」  その声は、責めるような、詰るような、それでいて、途方に暮れて縋るものを求めるような、そんな響きをはらんでいた。  近侍の苦い顔に、また審神者は笑う。 「信じてるよ。大丈夫。あなたは私のための傑作、なんでしょう? わかってる。私が一番信頼してるのは、国広だもの。そんな近侍様のこと、信じないわけがない」 「なら、どうして一瞬でも、『自分じゃなくてもいい』なんて思った。あんたの方が足を引っ張っている気がすると言ったな、それも本心なんだろう?」 「……本当に、頼もしくなったね、国広」  無理に笑おうとして失敗した、審神者の表情はそんな風に見えた。瞳が揺らいだのも、きっと彼の見間違いではないのだろう。 「……ああ、そうか……。そうか、あんたはずっと、こんな気持ちだったんだな。ああ、確かに……、もどかしい」  どうして自信を持ってくれないのだと、どうしてこの言葉は届かないんだと、この無力感を、幾度、己はこの少女に刻みつけてきたのだろう。  山姥切国広は奥歯を噛んだ。 「あんたは、物分りが良すぎるな」 ――失言? あぁ、確かに失言だろうさ、あんたはそれを理解している。理解しているから飲み込もうとした。だが、それでも言いかけたのは、結局のところ、あんたの心が俺の心を、いや、あんた自身もか。信じられていないから、飲み込みきれずに溢れかけた、本心なんじゃないのか。   そうやって、取りつくろったように笑われるくらいなら、いっそ心のままに泣いてくれた方がどれだけ良いか。 「ようやく俺を唯一だと言い切ってくれるようになったのに、俺にはそれを言わせてくれない」  両手を塞ぐのではなかったな、と山姥切国広は胸中にぼやいた。これでは目の前の少女に触れられない。頭を、頬を、撫でてやりたかった。  彼女は、真面目な、良い審神者だ。常に優秀であろうと努めている、そう振る舞うことを厭わない気質の人間だった。そのために、彼女はあたう限りそれぞれのかたなに等しく心を配ってきた。冷静な判断、細やかな気遣い。そういうものを尊んできた。  しかしそうしてはいても、人と、刀剣男士と。心を持つ者同士、本丸で共に過ごす時間が長くなるほど、仲間の数が増えるほど、気の合う者、合わぬ者が出てくるのは至極当然のことであった。とりわけ初期刀として、近侍として、審神者が山姥切国広と接する時間は、月日の分だけ延び続けた。そうしてそこに募った情は、他のかたなと比べるまでもなくなった。  その情は、この審神者にとってみればかえって厄介なものだった。どうしても山姥切国広でなければだめなのだと、彼女にとって唯一で至上のかたなは彼なのだと、そう言い切ってしまうことは彼女の重んじる公平性に反していた。  それでも、彼女は近侍の任を山姥切国広以外に預けることはできなかった。それが答えだった。 「……なぁ主、俺の心を、あんたが与えてくれたこの心を、いい加減素直に受け取ってくれ。それができないならせめて、あんたの心を隠してくれるな」  そういう風に、理と情とをきっぱり分けようとする審神者であったから、百歩譲って己に唯一の存在ができてしまったことを認めても、相手にそれを求めようとは思ってもみないようだった。まさか己の唯一が、同じように彼女を唯一として扱ってくれるなどということは、天地がひっくり返ってもあり得ない、あってはならないとでも思っているような、そんな節さえあった。彼女にとって、刀剣男士から審神者へと与えられる情は、臣から君への忠義か、神から人への慈愛か、その範疇に過ぎないものだった。そう思い込むことで、平静を保とうとしていたのだとしても。  だから、『物分りが良すぎる』のだ、この主は。 「確かに俺は修行に行って、ここに帰ってきた。他の本丸の俺も皆それぞれにそうしたんだろう。  『山姥切』は、本歌か、写しか。どちらの逸話も存在していた。どちらが真でどちらが偽か、重要なのはそこではなかった。どちらが正しいのかを見極める必要さえなかったんだ。  俺は、俺だ。  これが俺の出した答えで、他の俺も似たようなものなんだろう。そのことを否定はしない」  山姥切国広は、目の前に立つ彼の主の瞳を射抜いた。  真か偽か。是か非か。そうじゃない。大事なのは二者の一方を選び取ることじゃないんだ。 「あんたが主だから俺は俺として強くなった。俺はそれを確信しているが……、この際それが事実かどうかなんて、あんたは気にしなくていい。……あんたならわかるだろう。何度その真偽を俺とあんたで問答したところで、あんたの心が変わらない限り、答えはいつまでも変わらないんだ。  ただ、今ここで、主はあんたで、俺はあんたのための……あんたのためだけ﹅﹅の傑作だ。それを、それだけは、あんただけはそのことを、疑わないでくれないか」  ああ、くそ。山姥切国広は苛立たしげに頭を振った。 「どう言葉にすればあんたに伝わる?  これだけは、あんたに疑わないでほしいのに、……こういうのは、心というのは、強いて変えられるものではないだろう。これは俺の身勝手な願いで、でもあんたの心で受け容れてほしいんだ。押し付けるのは間違ってる。だが、だからといって諦めるわけにはいかないんだ。この心だけは、あんたに届かなきゃ、意味が無いんだ!」 「国広……」  懇願の響きを伴った言葉に、痛みを堪えるような表情に、審神者は目を瞬いた。彼女の近侍の、傘の柄を持つ右手が、固く、固く握り締められていた。  畳み掛けられた言の葉を、一つひとつ、胸の内に溶かしてゆく。 ――この本丸で、他のどこでもないこの本丸で、主は他でもない私で。今目の前に立っている彼は、他の本丸のものでもなければ、この本丸で鍛刀したものでもない、私がはじめに選んだかたな。歳月を共に歩んだかたな。それ以上でも、それ以下でもない。比べるものなど、他にあるはずもない。   わかっている、わかっているのに。 「……疑ってるわけじゃない。信じているのは、ほんとう」 「あぁ、……ああ、そうだな。何が不安だ?」  やわらかい声色。誘われるように審神者の瞳に涙が浮かんで、彼女はそれを、近侍の胸に押し付けて隠した。 「……くにひろが、つよくなって帰ってきて、びっくりするくらい頼もしくなって、……いつの間にか、気づかいまで、こんなに、上手になってて、……まぶしかった」  頬に当たる審神者の髪が冷たい。濡らさぬように抱き寄せながら、山姥切国広は己の行動を少しばかり悔やんだ。もっと早くに母屋へ帰らせれば良かった。だが、執務室に戻ったら最後、この主は決して弱みを見せなかっただろう。彼は思って瞑目した。不器用なのだ、この主は。 「自分でもいやになる。みんな、修行から帰ってきては、今の主、私のための刀だって言う。それを素直に受け止められないことが、自分でも最悪だって思う。だけど、私にそんな価値がある? たまたま審神者の適正があったから、たまたま審神者としてこの本丸を与えられて、たまたまみんなの主になって、私なんてそれだけの存在なのに。  私があなたたちにしたことを考えてもみてよ。私は戦う力を持たない。刀の振るい方なんて知らない。そのくせ、守りの固められた安全な場所から、この本丸から、あなたたちを戦場に送り出すの。終わりなき修羅の道に。傷の痛みも、心の痛みも知らないで、折れないでなんて無責任なことを言って、前線にあなたたちを追い払う。酷い人間だと思わない?  でも、それよりもっと嫌なのは、たまに、全部、投げ出したくなること。  戦うのは私じゃないのに。本丸を回すのだって、戦略を練るのだって、みんなに助けてもらってようやくできてるだけ。もっと成績だって出さなくちゃいけない。もっと私が頑張らなくちゃいけない。みんなの信頼に応えられる主でいなくちゃ。政府に見捨てられないだけの戦績を出せる審神者でいなくちゃ。頑張らなくちゃいけないのは私。戦わない私にできることは優秀な審神者であること、それだけ。そう思うのに、頭ではわかってるのに、投げ出したくなる。そんな資格、私に無いのに」  審神者の語気は強く、時にせせら笑うようであった。怒りさえたたえているような声音で、彼女は己を非難する。 「自信が無いの。修行に出て、帰ってきたあなた達を見て、眩しくて、怖くなる。こんなちっぽけな人間が、こんなに立派なひとたちの主? とても足りるような器じゃない……」  しとしと、ぱらぱら。雨は止む様子を見せない。言葉の途切れた端から、雨音が冷たく忍び寄ってくる。  山姥切国広は、すぐには口を開けなかった。掛けるべき言葉が見つからなかった。言葉を掛けて良いものかすらわからなかった。  この主を支えるだけの強さを欲して己は修行に出たはずだ。なのになぜ、この少女はこんなにも苦しんでいる? 「……ごめん、ごめんね、国広。こんなこと、私が言っちゃいけないね。私のためにある堀川國廣の傑作を、私の態度で貶めちゃいけないもの」  鳩尾みぞおちが冷える心地がして、山姥切国広ははっとした。審神者が彼の懐から抜け出そうとしていた。ぬくもりが離れて、隙間に冷気が入り込む。 「私のためって言ってくれる心は嬉しいし、大事に受け取りたいと思うけど、でも、だからこそ私がしっかりしなくちゃ。私は媒体。刀剣に宿る付喪神の力をお借りするための巫女。神様は、私のために在るんじゃない、この戦争を終わらせるために居られるの」  審神者は笑った。晴れ晴れとした美しい笑みを浮かべて見せた。 「さ、仕事に戻ろう。せっかく迎えに来てくれたのに、私のせいで長話しちゃったね」  ちら、とその視線が山姥切国広の持つ二本の傘に向けられたが、審神者はそのまま雨の中をきびすを返して走り出した。  しとしと、ぱらぱら。空は灰色、陽射しは届かず、雨は温度を失っていく。

初出:2021年4月2日 pixiv
加筆:2025年2月22日

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