装う花の美しさ

 新しき年の初め、正月朔日の節目に、皆ぴしりと背を伸ばし、彼らは大広間に集い腰を据えていた。  さりさりと、廊下から微かに衣擦れと摺り足の音が聞こえてくる。  その音が、襖の前で止まる。 「みなのもの、おもてをさげよ! あるじさまのおなりにございます!」  いとけなさの残る高い声が告げ、空気がぴんと張り詰める。広間に集った者たちは一斉に頭を下げた。  すらりと襖が開く。さり、さり、と足音は上座に向かい、そして静かになった。 「皆」  声が響く。ずらりと並んだ彼らの最も後列の者まで、些かの障りも無く、その声は真っ直ぐに通った。 「心より、新春の慶びを申し上げる。  このように、皆と共に、また新たな年を迎えられることを、誠に喜ばしく思います。  無論、皆と年明けを迎えることは、戦が続いていることをも意味しましょう。  ですが私は、皆が健やかにこの日を迎えられたことを、本当に嬉しく思います。  その心を、否む必要は無かろうと思うのです」  朗々と声を響かせたその人は、そこで言葉を切ると、ふ、と息を零してわずかに空気を緩ませた。 「皆、面をお上げなさい」  和らいだ声。居並ぶ者たちが上体を起こす。彼らの顔をひとりひとり見て、彼女はふわりと笑みを咲かせた。 「あけましておめでとう。  今年もどうぞ、よろしくお願い致します」  三指を突き、彼女は恭しく頭を下げた。  あぁっ、という、困り慌てるような声や、苦笑を漏らす音がささめく。  たっぷりと、ゆっくり数えて三つの間を空けて、上座に座る審神者は顔を上げた。  くすりと嬉しそうに笑みを零す彼女の姿に、大広間の空気が緩む。 「主」  その一声が、緩んだ空気を打った。  ぴんと再び空気が張り詰め、刀剣男士たちが背を正す。  最前に腰を下ろす一振りが、審神者を真っ直ぐに見据えて口を開いた。 「山姥切国広、皆に代わり、謹んで新年の御祝詞を申し述べる」  空気が震える。審神者は表情を引き締め、その一振りの言葉を受けた。 「我らが主がその御身に憂いなく新たな年を迎えられたこと、真めでたき事とお慶び申し上げる。  我ら一同、本年も主が為、身命を賭して仕えまつる所存。  御身の心安く在られるよう、心より御祈り申し上げる」  固く視線が結ばれる。  一拍の静寂を挟み、彼は今一度息を吸った。 「明けまして、おめでとう御座ります」  音吐朗朗と祝辞を述べ、山姥切国広は深々と頭を下げた。  後ろに並ぶ者たちが続けて「おめでとうございます」と唱和する。  その様を見ていた審神者は、感じ入った様子で胸に手を置くと、深く息を吸い、静かに、細く長く吐き出した。その口許に笑みが浮かぶ。一つ頷いて、彼女は口を開いた。 「ありがとう、みんな。皆の働きに期待しています。  さ、楽になさって。百の忠臣を得た幸せな私に、お酒を注がせてくれますね?」  いたずらっぽく審神者が笑うと、ぱっと顔を上げる者がちらほらと出る。  皆顔を上げ、跪坐を崩し、和やかな笑いが満ちる。  さあ酒持って来い! と声が上がった。 「いやはや、ぬしさまは本日もお美しい」 「うむ。流石は我らが主。こうして装うと実に華やかだな」  ずらりと並んだ刀剣男士たちは、始まりの一振りたる山姥切国広を除けば、時の政府より定められた刀帳の登録番号の順に座していた。すなわち前列に並ぶは、山城伝は三条の者たちである。  晴れ着に身を包みめかし込んだ審神者の傍にさっと寄り集まってきて手放しに褒め称えている。 「ありがとう」 「ねーっ、主さん綺麗でしょう? 今年もボクたち頑張ったんだから!」  たたっと駆け寄ってきて顔を覗かせる短刀が一振り。乱藤四郎は自慢げに笑った。そこに遅れてもう一振り。 「そ。見立ては細川のみんな、着付け、ってゆーか帯結びは篭手切、ヘアアレンジは乱でメイクは俺ー。どーよ、今回も自信作なんだけど」  加州清光がそう言って満足げににっと笑う。  うんうん良い腕だ。ぷろの仕事、というやつだな。と周りの者たちが頷く。 「やまんばぎり! やまんばぎりはなにかいうことないんですか!」  控え室から大広間まで露払いを担った今剣は、改めて審神者の装いに目を輝かせていたが、急にむくれたかと思うと山姥切国広を引っ張ってきた。 「俺に何を期待している……」 「えー、主さんがこれだけおめかししてるんだから、一言は欲しいなー隊長さん?」 「そーそー、だんまりはナシっしょ」 「うむ。言わぬは失礼というものだな」 「晴れ姿の女性は褒めてこそですよ、総隊長殿」  やいのやいのと皆が煽り立てる。当事者の一人と一振りふたりは背を押され、向き合うことを余儀無くされた。 「……無理しなくても、って、言いたいけど、みんなも頑張ってくれたから。一言で良いから、褒めてくれたら、嬉しいな」  気恥ずかしげに審神者ははにかんだ。主として前に立つのだからと、着飾ることは納得している。綺麗に装ってもらえば気分も上向く。  そこへ、何か一言、とつい願ってしまうのは、相手が恋しく思うひとだからこその、ささやかな乙女心だ。 「はぁ……。……、あんたの装いが、良い物であろうことは俺にもわかる。振り袖はあんたのいつものだろう、帯も良い物なんだろ、あいつらの見立てだしな、俺の目でもわかる。髪も、化粧も、手が込んでるんだろう。  ……だが」  溜め息を一つ。物の良し悪しこそ見てわからないではないものの、褒め言葉というのは苦手なのだと、山姥切は言外に告げる。  一度言葉を切り、わずかに唇を湿し、彼は審神者と視線を合わせた。 「あんたの目が、良い。  着飾ったあんたは、勝ち気そうな、自信が見える、強い良い目をしてる。  いつもそれに引かれるんだ。一寸ちょっと背筋が震えるような、身構えたくなるような目をするんだよな、あんた。  ……それが。うん。綺麗、だ」  真っ直ぐ、瞳の奥まで覗き込むように目を合わされてそう伝えられ、審神者は何も言えずにはたはたと目を瞬かせた。予想外の言葉に狼狽える彼女の頬に、じわじわと朱が昇る。 「あ、りがと……」 「わー……そっかぁ……それ褒め言葉なんだ……」 「そっかーそうだよなー、そーたいちょーは外見そとみには興味無いのなー……」 「うむ。仲良きことは美しきかな」 「なるほど野暮というものでしたか」  けしかけた者たちの、気の抜けた平坦な声がぽろぽろと落ちていく。その輪を外から眺めていた一振りが苦笑した。 「外見や人の目に惑わされず本質を見ようとするのが、彼の美徳だからね。  とはいえ僕らの見立てに思うところが無いのかと言いたくはあるな」 「かーっ、むず痒くて見てらんねえっての」 「あレらは夫婦みょうとなのか」 「ま、似たようなもんよ」 「ふム、了解した」  そこへ、酒持って来たぞぉ! と大音声が上がる。  兼定の者らはその場を離れた。また皆で並び、それぞれに審神者と盃を交わし絆を深める……という体で酒を飲むのだ。ハレの酒は美味い。 「あんた、本当に一振り一振り飲み交わす気か? 百振りいるんだぞ?」 「一口ずつにするから大丈夫だって。絶対飲むわ。水なんて混ぜないでね? 水の盃は訣別の覚悟で飲むものなのでしょう? そんな縁起の悪いこと絶対にしないんだから」 「変なところで意地を張るな」 「張ってません。無理はしないってば」 「どうだか」 「なんで信用されないかなぁ!」  上座に座り直す審神者の横で、山姥切が眉をひそめ、審神者が噛み付く。  前列に座る三条の者らはそれを微笑ましく温かく見守っていた。  過保護気味な初期刀殿と、責任感の強い審神者のやり取りはいつものこと。  その「いつものこと」が、これからも長く続けば良いと、この年始めの席に思うのである。

初出:2023年1月1日
加筆:2025年2月22日

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